有理まこと 雑記ブログ

AIとアーティストとエンジニア

私が創作関連のSNSを見ていると、AIに関する論争は随分前から続いております。それを見ていて私も色々思うことがあります。しかしながら口は災いのもととも言いますし、思うところは心に秘めたままにしとこうと思っていました。が、久しぶりにブログを書きたくなったので文字にしてみます。災いになったらごめんね。

私自身の考え

私の本職はIT系のエンジニアです。仕事でAIを開発したこともあります。プライベートでも画像生成AIやチャットAIを触っていて、自身の創作(小説、イラスト)にAIの活用ができないかと模索をしています。現状ほとんど使えてないのですがそれはさておき。あと、プログラミングを初めた頃からAIには強い興味を持っていました。だからなのか、AIに関してはかなり寛容な考えを持っています。

そもそもですが、私の考えとしては我々は法治国家に住んでいるのですから、困った時に皆が従うべきは法律でだと思っています。

AIによる画像生成に関する著作権周りの議論は、以下の記事がとても秀逸であるので、AIについて何か語るのであればまずこの知識が前提として必須であると思っています。とても長い記事ですが、ぜひとも読んでいただきたいです。

Midjourney、Stable Diffusion、mimicなどの画像自動生成AIと著作権 | STORIA法律事務所

と言っても今読む人はほとんど居ないと思うので私が雑にまとめますと(本当はよくない)、AIによる学習はかなりの自由度が日本国の法律で認められています。学習目的ならば著作者の同意なく著作物を複製してよいとなっていますし、それを契約で上書きするのも困難です。そして、AIを利用して生成した画像は著作物となり、AIを利用した人に著作権が帰属します。

これが日本国の法律なのです。

いくら、AI生成画像をもって自作したと発言してアーティスト面するな!!!と言っても、現に著作権が発生するのが現在の日本国の法律です。であるならば、私はそれに従うべきだと思います。

もちろん、その考えがおかしいという批判は現に沢山あります。しかしインターネット上の批判は自身が属するコミュニティの中で提起され、その中だけで議論が展開され消失していきます。これは法律の話なのですから、立法がおかしいということであれば原則的には政治的に訴えかけて新しい法制度をもって解決すべき問題だと思います。

それを、コミュニティの中でAIは良くないよね、という言論を広め、AIを使用する人を萎縮させるさせる行為は良くないと思います。

おっと、ここまで読んだらもしかしたら私の書いた文章にイラッと来た人もいるのではないでしょうか。ご安心ください。私は少なくともインターネット上の他の大多数の人よりは中立的な視点を維持していると自負しています。どうか最後まで読んで頂けたら嬉しいな。

話を戻しましょう。AIの利用は法的な問題がクリアだとしても倫理的・道徳的な問題があるから使ってはいけない、という言論を広めた人がいたとします。これは例えるならば、ビーガンが「肉食をやめろ」と焼肉を食ってる人を捕まえて食うな、食うなと連呼していることに似ています。

我々は通常、ビーガンという存在を認知し、自分が肉食をする人間であってもそういう主張がある事自体には一定程度の理解を示すはずです。ビーガンの人らも通常は自らの思想を強要しません。しかしながら、中には「肉食をやめろ」と罵倒したり、食肉加工場に乗り込んで問題を起こす人も居ます。そういう人は通常、強要罪とか業務妨害罪とか建造物侵入といった何らかの法律で罰せられることになります。

つまり、法治国家ではたとえ皆が守るべき決まりが間違っていたとしても、それを正すには正しいプロセスを取らなければならないということです。自分自身が食肉は動物に苦痛を当たる道徳的・倫理的に良くない行為だったとしても、肉食に制限がない日本国の法律をオーバーライドして肉食の禁止を強要したり、あるいは肉食を控えるよう圧力をかけることは犯罪なのです。

これはAIに関しても同じです。AIに道徳的・倫理的問題があるからといって、AIを利用している企業・個人の行動を制限すべきではありません。例えばイラストレーターが多く用いているClip Studio PaintにはAIによる画像生成AI機能が搭載されることが検討されていましたが、これは利用者からの批判により断念されました。

CLIP STUDIO PAINTへ画像生成AI機能を搭載しないことといたしました

これはまことに残念なことだと思います。それは私がAIを好んでいるからではないのです。日本国の法律においてAIの正当な利用であると法的に認められていることを、利用者個人のお気持ちに配慮して取りやめてしまったからです。もちろん、開発元のセルシスが顧客を大事に思っている証だ、とも言うことが出来るでしょう。その受け取り方は様々なので、私とは違う考えだという方に特に何か言いたいわけではないですが。

エンジニアとアーティストのすれ違い

インターネット上の議論を読んでいると、どうもAI利用者側と創作者側で一定程度のすれ違いがあるように感じます。うまくまとめられるかわかりませんが、なんとなく思ったことを文章にしてみます。

私は、AIを使うこともあるITエンジニアであり、趣味で小説とイラストを創作するクリエイターでもあります。一応、どちらの言い分も分かっているつもりですのでそのあたりなるたけ中立的になるように書いてみます。

まず法的な概念で言えばAI画像生成を行う人は、その生成結果の画像に著作権が発生するのですから、これはクリエイター、アーティストと言って良いのではないかと思います。著作権が発生するということはその要件として創作的な表現があるということですから、それを行う人はクリエイター、アーティストと言っていいでしょう。

しかしながら、アーティスト、クリエイターの方々が一番認めたくない部分はここなのだと思います。

「AI画像生成をする人をアーティストと言って良い」というのは、あくまでも法的な話をベースとしたときの話であって、世間的な感覚からは大きく離れています。おそらく、「AI画像生成をする人」はこれまでの社会の中では「ディレクター」「監督」と呼ばれる人たちだったのではないかと私は考えます。

何らかのプロジェクトが発足し、その目的を達成するために何らかの創作物が必要になった場合、プロジェクトの意図に沿った創作物を制作してくれるクリエイターにその制作作業を依頼する、という方法が取られます。その中でディレクターはクリエイターに対してどのようなものを作って欲しいかという概念を言葉で説明し、クリエイターはそれに従って制作作業を進めます。その途中で、何度かすり合わせを行います。

AIによる画像生成はこれにとてもよく似ていると個人的には思っています。AIによる画像生成も一発でお望みの画像が出力されることはほとんどなく、何度もパラメーターをいじくり回してようやくで合格を出せる画像を得る、そんな感じの手法を使います。

この作業は通常、「創作」とは言わないでしょう。ディレクターがイラストレーターに対して発注したイラストの著作人格権はあくまでもイラストレーターに帰属し、発注して指示を行なったディレクターに著作権が帰属するわけではありません。言い換えると、ディレクターがイラストレーターからの成果物を受取り、それを自分の創作物だと述べたらそれはおかしい、とツッコミが入りますね?

AI画像生成を行なっている人はそのような主張を行なっているように感じる、まずはこれが大きな反発の元なんだと思います。つまり、いくらAI生成画像の著作権がAIに指示を行なった人に対して発生したとしても、そのプロセスはあまりにも通常の創作とは異なっていると。ここにクリエイターの多くが反発しているのだと思います。

ちなみに、なぜディレクションと同じような工程で出来上がったAI生成画像の著作権が、ディレクションを行なった人(=AIを使った人)に帰属するのかは私にはわかりません。ただ、まあAIに人権が無いからでしょう。AIに人格と人権が認められていたならば、当然AIが著作権を有するとは思います。

以上はAI画像生成のプロセスがクリエイターからはかけ離れているという話ですが、私はもう一つ付け加えて「AIは筆にはらならい」と言うことを付け足したいと思います。

創作というのはつまり、その人の頭の中にあるアイディアや概念を誰もが分かる形(音楽、写真、映像、絵画など)に落としてあげる作業だという理解でいますが、AI生成画像はこれを行うには現状、あまりにも大雑把過ぎるし、バイアスがかかってしまっていると思います。

現状のAI画像生成は雑に言ってしまうと「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という使い方をせざるを得ず、これは自らの頭の中にある概念を外に出しているというよりは、現状そこにあるものを「そこになければ無いですね」の精神で取捨選択しているという表現のほうが正しいと思います。そしてその過程を経ることによってもともと自分が思い描いていた概念とはどうしても離れてくるでしょうし、AIによる美しさというバイアスも入ってくることは否めません。

(余談ですが、これを解決するためにControlNetなど、なるたけ人間の意図に沿った画像を生成するような手法が提案されています。ただ、私が触った限りでは取捨選択の作業がマシになったという感触で、やはりアーティストの筆とは別物だと感じました)

だから、これまでの創作とは違って、AIを用いて出力されたものは人間の関与が非常に薄く、バイアスも入りやすいものであるから古典的な意味での創作とはやはり違う(良し悪しということではなくて、少なくとも違いはある)とは言えるでしょう。

では、AIを使って画像生成を行う人は何と表現するのが適切でしょうか?

私は、これは「エンジニア」だと思います。

行なっていることはディレクションであると述べましたが、しかしながら現状のディレクション業と画像生成を行うこともこれもまたかなりの乖離があります。AIによる画像生成はまだまだ研究という色合いが濃厚で、これを扱えるのはイノベータ、アーリーアダプタといった最新の技術に素早く対応できる人たちだけです。

最新の研究結果を社会的に意味のある領域に落とし込む。これはまさしくエンジニアの仕事です。

当初、Midjourneyというサービスが夜に出てきたとき、「Prompt Engineer」と名乗る人がたくさん出てきました。promptとはつまりAIに指図を行うためのテキスト(呪文)のことですが、その時は大層な名前を付けるなぁと私は笑っていました。しかし、いまよくよく考えると、彼らは確かにPrompt Engineerと呼ぶのがふさわしいと思います。

アーティストとエンジニア

ここまでの話をまとめましょう。アーティストはこれまで自分たちが行なってきたものとは全く違った手法と全く違った結果を引っさげて、AI生成画像が自分たちの領域に入り込んできたのですから「それは違う」と述べているのだと思います。実際、上記に述べたようなことを根拠として、私も従来の創作物とAI生成画像は少なくとも違いがある、とは思います。

一方でAI画像生成を行う側(以降、エンジニアと単に書きます)の視点としては、法律で認められた事を正当に行なっている(詳細は冒頭に載せたSTORIA法律事務所の記事をお読みください)に過ぎず、その生成過程には著作権が認められる程度の創作的な活動を有しているのだから、少なくとも文句を言われる筋合いは無い、と思うことはこれは当然でしょう。

要するに、アーティストとエンジニアの間で「創作物」に関するミスマッチがある。これがインターネット上の議論をかなり不毛なものにしているように私は思います。

じゃあどうすれば良いのか?

これは難しい問題です。書くだけ書いといてアレですが、私にはどうすれば良いのかわかりません。双方にはもっともな言い分があると思います。お互いに正しいことを言っているが統一的な認識は生まれず、従って正義もありえない。世の中にはこういうことが普通にあり、今回もその一つのケースである、としか言えないと思います。

ただ、一つだけおっさんとして小言を付け加えるならば、お互いにリスペクトが足りないとは思います。

エンジニア側は創作とはなんたるかをもっと学ぶべきだと思います。創作を行い創作のコミュニティで活動したいならば、「郷に入っては郷に従え」という謙虚な心がある程度は必要です。

創作そのものに興味があってクリエイターと肩を並べた立場に立ちたいならば、最終的な出力結果だけ見ずにこれまでの長い歴史において創作にはどのような手法が存在しどのように進化してきたのかを知るべきだとは思います。アニメの絵ひとつ取ってみても、鼻を表す点にはどのような意味があるのか、まぶたの上側は太くするのに下側は殆ど描かないのはなぜなのか、なぜ黒目は下側を明るく描かなくてはならないのか、そこには美術解剖学の蓄積があるわけです。

もちろん、常にそれが分かっていなければAIなど触るべきではないなどという事を言いたいのではないです。私だって美術解剖学なんか全然知りません。ここで言いたいのは理想論としてはそうだよね、という認識は持っておいてほしい、そういうことです。なぜか?だって、これが既存のアーティストへのリスペクトを発生させるために必要不可欠だからです。

ちょっと前にStable Diffusionというおそらく今もっとも使用されている画像生成AIの開発者の一人が「デザインは退屈」と述べたことがニュースになりました。

「イラストやデザインの仕事は退屈」──Stable Diffusion開発元の代表インタビュー記事が話題

「イラストやデザインの仕事はクライアントの意向に沿ったものを作るだけのとても退屈な作業で、君たち(デザイナー)は道具だ」という趣旨のことを言ったそうですが、多少なりともアート、デザインに対しての理解があればこんな言葉は出てこないと思います。

それがどんな対象であれ、リスペクトが足りない最大の原因は常に無知です。それがどのような歴史をたどり、どのような思想のもとで出来上がった創作物なのか理解していればこんな言葉は出てこないはずです。

アーティスト側に関しては逆のことが言えます。確かに現状のAI生成画像はこれまでの創作物とは大きく違います。出所も制作のプロセスも全く違います。しかしながら、そのプロセスに全く創作的表現が無いわけではなく、それを踏まえた法解釈としてAIが出力した画像には多くの場合著作権が発生します。

AIは現状、筆にはならず、エンジニアが行なっていることはクリエイションではないかも知れませんが、しかしながらAIの世界は日進月歩で進んでおり、アーティストが望むか否かに関わらずその研究成果は世の中に反映されていきます。現状のAIが筆でなくても、将来的にアーティストの筆になる可能性を秘めています。それを試行錯誤してくれているのが、現状の研究者であり、エンジニアです。(もっとも、彼らにアーティストの筆を作ろうという思想は無いでしょうが、しかし社会的に優れた応用とは本来の研究意図とは違った形で生まれることがよくあります)

技術とはまず研究があって、その次に今AIを使っているようなイノベーターとアーリーアダプタの人が牽引して世の中に広まっていくわけです。その過程では、社会的に問題を引き起こすことがよくあります。我々が現代社会で見かける技術とはほとんどすべてがそういった経過を経て社会実装されていったものです。

それを、「そんな技術革新なんて私は望んでいないから止めるべきだ、私は要らない」と言うならば、スマートフォンを使うのも、飛行機に乗るのも、インターネットを使うのも止めたほうが良いでしょう。

もうちょっと優しい言い方をするならば、「新技術の導入初期には問題やいざこざが発生することはよくあることだから、もうちょっと寛容に見守ってやってほしい」ということになります。

まとめ

です。おわり。