有理まこと 雑記ブログ

初めて本を売った日

「有理まこと」という名前で書くブログはこれが初めてになります。今日から不定期で創作に関する雑記を書き記していこうと思います。よろしくお願いいたします。

初めてなので簡単に自己紹介しましょう。私は有理まことという名前で創作活動をしています。「絵と文」が私の活動の中心です。挿絵付きの小説を制作して売ったりしています。 本業はIT関係の仕事をしています。

今まで長らくネット上で活動をしてきましたが、「創作」という専門の人格で活動するのは初めての試みになります。

「有理まこと」という名前で初めて作った本が「猫の校舎」になります。物理的な本を作ったのはこれが初めてでした。この本はCOMITIA 142 に出店しました。これが私の人生初参加のイベントです。

イベントに出店する前の私の心境としては、「知らない人に一冊でも売れればそれでいいかな」というものでした。実際は大変幸いなことにより多くの人にお買い上げ頂けました。嬉しいのが半分、もう半分は困惑というのが正直な気持ちです。

困惑といいますのは、私の作品の何が評価されたのがよくわからないからです。わからないので、今回売れたのは単にビギナーズラックであって、次回以降は全然売れない…という結果になるのではという不安があります。

趣味としての創作というのは一般的に続けるのが難しいものです。まず、何をやるにしても時間がかかる。絵も漫画も小説も、なんでも時間がかかります。作るのに苦労します。しかも、苦労して作っても誰も見向きもしてくれない事が往々にしてある。

だから私は、創作をする上での第一目標をまず「続けること」としています。そのうえで究極的な目標は「自分が書きたい(描きたい)作品を全部完成させる」です。なので、第一目標も究極目標も首尾一貫しているとも言えます。

そうは言っても創作というのは人に見てもらうところまで普通は含まれますから、誰にも鑑賞されない作品なんてものはあまりにも寂しい。その気持ちを無視することは出来ません。時に、創作の目的は見てもらうことが主になってしまいがちです。それが悪い、とまでは言うつもりはありませんが。

少なくとも私の目的はそうではないので、見てもらうことが主にならないよう常々自分に言い聞かせています。自分の大目標は作品を完成させること。そのためにまず、続けることが大事なんだと。いつも気持ちがぶれそうになった場合はそれを思い出しています。

なので、今回の結果に浮かれずに創作はずっと休まず続けていこうと考えています。

私の考えは以上のとおりですが、今回はそれに加えてまたちょっと違う気持ちが湧き上がってきました。自分で商品を作って自分でそれを売る、という行為は楽しいのです。これは作品を見てもらうという行為に近いのですが、また違った軸の面白さと喜びがあるということもわかりました。

「猫の校舎」は私が良いと思うものを詰め込んだ短編集です。初めて書いたような小説なのでいま思い返すと荒い部分も多々ありますが、それを含めて良い、と自分では思っています。少なくとも私自身は自信を持って値札を付けて売れる本です。

今回本を売るにあたって私はブースに来てくれた方に主に2点を説明しました。

この2つは「猫の校舎」だけでなく私の作品群の根幹をなしています。

そもそも私が創作を始めようと考えた動機は、私自身が見た夢の中の光景を伝えたいと思ったからです。当初、その媒体は漫画でも映画でも小説でもゲームでもいい、と思っていました。最終的に働きながらでも趣味の範囲で出来る「イラストと小説」に収まったというわけです(本当は漫画も描きたいのですが)。

私が物語を構成するための原動力の半分以上は夢です。皆んなに話して聞かせたい、そんな内容の夢を見たときはいつも自然と手が動きます。 つまり、私がやっていることというのは実は夢の中で見た光景を現実世界で説明する、ルポタージュや手記のようなものに近いのだとも思っています。

なので、私が私の本を「好きだ」と表現するときは、それが自分の創作物であるということを忘れた上で素直に「こんなにおもしろい話がある」「こんな興味深い体験をした」といった調子で語ることが出来るわけです。

「猫の校舎」は、主人公がこの世と死後の世界の狭間にある学校に迷い込んで不思議な体験をする、というのが大まかなあらすじになっています。この話を作る上で参考にしたのは、私がお世話になった会社の先輩が亡くなってから数カ月後に見た夢でした。その時に見た夢そのものは特に死後の世界を示唆させるような内容ではなかったのですが、そういったショックを受ける体験をした後だったので、どうしても死後の世界と絡めて解釈してしまっていました。

人の生死、というのも私の作品群の中で一つ共通したテーマではあります。私はとても残念なことに、10代の頃から仲の良かった知人を何人か亡くしてきました。そのたびに人が生まれて死んでいくことに対して、我々はそれをどのように捉えればよいのだろうか?どういった心持ちで日々を生きればよいのだろうか?ということをどうしても考えてしまうのです。

人はいとも簡単に死んでしまいます。重い病と共に徐々にやってくるのが死の全てではありません。昨日まで元気だった人と、ある瞬間には永久に話ができなくなってしまう。そんなことはこの世の中でいつもどこかで起きています。

そういう悲劇が世の中で常々起こっていて、それがニュースになったりすることもあります。そうでないこともあります。どちらにしても、誰かが死んだことは、地球規模で見ればほとんど何も影響を及ぼしません。どんなに周囲の人がショックを受けていても、時間が経てば夜が明け次の日がやってきます。これはとても不思議なことだと思います。

この本に後付で副次的なテーマを与えるとすれば、そういうことかもしれません。我々は人の死を経てもなお、次の日を生きねばならない。そんなときに、我々はどんな顔をして朝玄関を通ってゆけばいいのだろうか?そんな事を少し考えるような内容かもしれません。

ちょっと重い話になってきましたが、「猫の校舎」は高尚で重厚なテーマを扱っている、というわけでは決してありません。人間の生と死と、そして夢が含まれた小説です。押し付けがましい筆者の考えみたいなものもありません。私はただ、夢で見た内容を語ってるだけなのですから。しかし、それが何故か面白く、示唆に富んでいて、大事にしたくなってくる。そういった内容だと思っています。

そして私の今後の創作活動の中で、今回本を手に取ってくれた人が少しでも私の創作物で楽しんでくれたらこれにまさる喜びは無いとも思いました。だって、私が夢を見て良いと思った感情を共有できるのですから。それこそが、私の当初の目的だったのです。